名古屋市青葉区民の散策

超不定期更新。だいたい旅行記。年1くらいでやる気が出ます

夜行快速ムーンライトながらの思い出

祝 「ブログ投稿ブランク1年間」回避達成!すごいぞ自分!!

お久しぶりです。なかのせばしです。

 

 2021年1月、長い歴史を持つらしい「大垣夜行」こと快速ムーンライトながら号が廃止と発表されたようです。この列車は、青春18きっぷが発売されるシーズンにa lot ofオタクsが移動する東海道を、深夜に東西移動させる昭和製の輸送機です。私は2回しか乗ったことがなく、しかも両方共に廃止前の末期のことです。こんな"にわか"の自分がこんな記事を書いてもいいのか疑問だが、「昔はこんな列車があったんだよ~」というインターネット老害日記と思って読んでください。

ちなみに「ながら」本体の写真はそんなに多くないです。というか乗車の前後の話題多めです。「こんな感じの利用方法があったんだな~」みたいな感じで見てください。旅行記としてお楽しみください

初めての「ながら」 2017年12月26日発車 上り 岐阜→東京

 クリスマスに当然予定が無かった私は25日はぐっすり眠り26日早朝から旅へ。尾張一宮駅名古屋駅周辺で知り合いと会ったりしたのが終わったのは17時くらい。ながらの出発は名古屋で23:20頃とかなり遅いが、大須や栄で適当に時間を潰せた。22時頃、寂しい(普段から?(殴 )深夜の岐阜駅で「ながら」を待った。

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岐阜駅発車標。名古屋あたりの地名に急に「東京」が出てくる

ムーンライトの旅が始まる。

 実はこれが田舎モンである自分の初「1人で東京」。ついにあの大都市に1人で踏み込んでしまうのだ。確実に大人の階段を登っている。間違いない。

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東京へ行く権利(切符)を手にした筆者

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手が震えた(言い訳)

 23時直前噂の古~い車両。当時は特急でも使っていたらしい。同じ車両なのに特急・快速と何にでもなれるユーティリティープレーヤーである。

 さて、この先の車内の写真...と行きたいところだが、実は無い。筆者が古い車両にコンセントがあると思っていたアホマヌケなのかというと違う。いや、頭の中でこいつに電源なんて文明が無いのは理解していたが、「夜寝るときは充電がある」という日常の習慣のままにスマホを使いまくってしまったのだ。残されたのは貧弱なモバイルバッテリー。TwitterもLINEもインスタもできない(どうせインスタ映えの写真なんて撮れないが)ので、慣れない読書をして時間を潰した。

 車内は車内販売やシャワーなんて上級国民のサービスは無く、消灯しない車内で普通の座席に腰掛けるのみである

 悪いことばっかりではない。この電車は新幹線が止まるような大きな駅にしか止まらなった。すごい。深夜の線路をかっとばしていた。

 「飲食用のテーブルを降ろし、大学1年生の当時に身に着けた"高校の学習内容で完結する一般教養の受講スタイル"で寝た。ちょっとした毛布みたいなのを頭の下に引けば割と余裕である。途中、貨物列車に起こされたりと色々あったが、なんとか仮眠を開始した。

 

12月27日

 目覚めの良いオタクなのでおはよう放送で起きた。「藤沢~大船間を走行中」と言っていたが、関東の地名に疎かった当時の自分は現在地をしっかり理解できなかった。ねぼけているうちに横浜到着。駅からは遠い昔東京あたりで聞いたメロディーが聞こえてきた。よくわからないけど、これこそ東京っぽい。夢の東京に近付いていった。途中で乗客が乗ってる通勤電車とすれ違った。まだ4時台だぞ。何が嬉しくてこんな時間に通勤電車乗ってるんだ。

 

 この先の写真は貧弱バッテリーでなんとか少々充電できたスマホで撮ったものである。

 

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ここは行き来できない。間違えて乗ったら悲惨である。

 東京着。降り立った感想は「来ちゃった」である。田舎モンが歩くことが許されているのだろうか?駅名標に刻まれた「東京」の文字を見ながら考えた。とりあえずあの「丸の内駅舎」を見るのがマストだと考え、看板に従って歩いた。駅員に18きっぷのチェックを受け、広場へ飛び出した。

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田舎民は高い所を見上げがち すぐ首を壊す。

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5時20分の丸の内

 写真では伝わらないが、やたらかっこよく見えた。ダンジョンっぽい。何回もアングル変えて撮りまくる、明らかに観光客っぽいムーブをしていた。早朝に。不審者である。

 

 ところで、この電車は東京5:05到着。マジで何もない。東京5:05=田舎の日中だと思う。この瞬間、大都会首都東京は田舎と同レベになっている。

 この後、「なんとなく」大宮に行ってマクドで充電しながら仮眠した。

 ただ、本当に充電器の調子が悪いらしく、そのあとも東京ど真ん中日本橋の携帯ショップで充電させてもらったり、東京で会った知り合いに充電器借りるなど、終始アホな旅だった。

 

最後の「ながら」 2019年12月25日発車 下り 東京→名古屋

  あれから2年経った。ほぼ、ちょうど2年になる。筆者はこの2年間でクリスマスに用事を作るほど成長したようだ。よかったね。

 

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ただのハコと化していた旧さくら野(2019/12現在)

「粗大ごみ」(某東北大生談)

 実はこの日は朝の時点でも「ながら」の切符を持っていなかった。というか、旅程を詳しく決めていなかった。「今日中に仙台を出発し、翌26日正午の大阪での用事に間に合う」というタイムリミットだけが定められた旅。目標は静岡県内で泊まるか、運良く「ながら」のチケットを確保すること。

 

 まず18切符を確保する。2018年に乗ったときは、その前後含めて5回分をちゃんと消費したのだが、大学3年生になってそんな体力もなくなり、買うかどうかを迷いまくった。金券ショップというてもある。なにが最善手なのか・・・迷ったが、このままだと仙台最終日を無駄に過ごす。思考は切り上げて買い手が見つかることを願いつつ普通に購入し、観光の時間を確保した。

 

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市内唯一の名所 城跡だがお城感はあまりない。

 次に欲しいのは「ながら」のきっぷ。以前と比べてそんなに貧乏ではないので、最悪新幹線課金もありと思っていた。しかし「安いに越したことはない」という限界オタク精神。でも「ながら」は少々プラチナ化してる部分があり、乗れるかわからない状態で夜を迎えるのはリスクが高い・・・。

などと考えて券売機を触っていると、昼前に2席が空席表示になった。窓側・通路側のどっちかを確認する暇もなく勢いで購入。東海道オタクベルトコンベヤーに乗り込む権利を手に入れた。この報告に対し「メリークリスマス」とみんなに言われた。そういえば今日はクリスマス。どうやら2019年の日ごろの行いがよかったようです。サンタさんは実在します、みどりの窓口に。

 

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北極圏のみどりの窓口でサンタが発券した。

 最後の仙台観光を済ませ、東口にある先輩のバ先で昼食を頂き、見送られたりしながら仙台を去った。

知り合いにトッピングサービスしてもらった。人類みな優しい。

 ながらのチケットを得た私は14時くらいに仙台を出発して常磐線経由で東京の行くという超余裕ルートに計画をチェンジ。当時はまだ浪江~富岡は代行バスだった。原発の関連施設を思われるものを遠く西にながめながら、常磐線を上る上る・・・。ニュースでしか見たことない福島第一原発がたしかに「ここにある」ということを実感した。

 

ちなみに常磐線代行バスチャレンジ、当ブログの熱心な読者[誰?]ならお分かり頂けると思いますが、前回寝落ちして失敗しているので「二度目の正直」です。

aramaki-izumi.hatenablog.com

 (露骨な宣伝)

 

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なんとか海側の席を確保したが、走行中に日没を迎え辺りは真っ暗に。

交差する道路には全てバリケードがあり、復興がまだであることを淡々と伝えていた。

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写真技術に関する批判は書面で直接郵送お願いします

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原発事故による不通区間が存在した時代の駅名看板。富岡が終点。常磐線代行バスは浪江駅までノンストップだった。

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この旅行、前日も知り合いのバ先のラーメン屋行ったりと

麺しか食ってない。

ちなみに、これは「唐揚げ1個」で注文したはずのそばです


 夜の景色が見えない茨城県(どうせ昼でも何もない)を通り過ぎて東京へ。達成項目「丸の内駅舎を撮影」をクリアし、ついに「ながら」へ乗り込んだ。

 

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まーたそうやって田舎民は高い所を見上げる

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東京駅丸の内駅舎にある東京オリンピックのカウントダウン時計。

当時はまだ2020年7月までの日数を刻んでました。


「ながら」が来る様子をホームで見守っていたら、見ていたのと逆のほうから電車が到着していた。すごく恥ずかしい。ホームにいるプロオタクの乾いた笑い声が聞こえたきがした。

 

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大垣まで線路は続いてるんだなあ

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真剣に逆方向から電車を待っていた自分(恥)


 「ながら」がドアを開けた。限界まで乗りつぶしたい暇人18キッパーが大量に乗り込んでいく。後日知ったが、なんとこの時同じ車両に大物YouTuberが乗っていた。しかし気付けなかった。ワイがずっと陰のオーラを放ってたからだろうか。この時挨拶等できなかった後悔は人生後悔ランキング暫定7位。

 

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夜行で西を目指す人々

 途中から隣席の客が来た。あの時券売機で見たもう1つの空席を選んだ方。ほぼ私と同時に購入したに違いない。一瞬謎の親近感を覚えたが、冷静に考えると何も関係ない赤の他人である。ところが隣席の方は「コミュニケーション能力」という凄まじいものを持っているらしく、私に挨拶をしてきた。陰を極めすぎた私は会釈で終了。相手も察したのか、1人で酒を飲んで過ごしていましたとさ。

 

 この時は謎の姿勢で寝た。大学も専門科目がメインなので、必寝技"一般教養の受講態度"が完全に失われていた。起きたら体が痛い。大垣まで乗る気持ちもあったが、名古屋で途中棄権。

 名古屋の手前では、長時間停車。ドアは開かない。Googleで調べてみると、これは「時間調整」ってやつらしい。東海道を真面目に本気で走ると名古屋4時台というそもそも観光客の来る場所ではないと言われる名古屋で更に何もすることがない空間に置いて行かれることになる。といっても5:10に到着。この時間の名古屋駅はこんな感じ。

 

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将来の名古屋の姿なのかもしれない

こんな名古屋は見たことが無い。中京工業地帯が完全に衰退し、喫茶マウンテンが閉店したオワコン名古屋になればこの光景はまた見れるのだろう。あっごめんなさい名古屋は首都になるんでしたね。

この後はマクドで充電しながら仮眠したりどこかで聞いたことある話だな。ボーっとしすぎて、改札入ってからスーツケースを忘れたことに気付き、大阪の用事に間に合う東海道線を逃しそうになったのは別の話。

 

ちなみに18きっぷの残りは友人に売ることができました。

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帰り道はシンプルに通勤ラッシュなので、着席できなかった区間もあった。

乗車の感想

〇得たもの

・金銭的余裕(安いので)

・時間的余裕(深夜帯の活用)

・話のネタ

 

〇失ったもの

・健康的な体

・遠征先での体力

・常識的な「東京~名古屋間の移動方法」に関する議論能力

・「快適な睡眠」に関する一般的な価値観

・寿命5年くらい

 

 

またどこかでお会いしましょう。